≪身近なヤクザ、このページについて≫

身近なヤクザ

 人は間違いを犯す。間違いを犯すのが人ともいえる。間違って作った罪を清算する方法は、罪を許して 下さる神に対して、悔い改めをすることである。 もし、組織から抜け出したくてもできないメンバーがあるのなら私のところにメッセージを発して欲しい。 人に損害を与えたのであれば、謝罪し、弁償すれば解決する。 社会を脅かす組織から一国も早く抜け出せることを神は望んでいるはずだ。
                               アッセンブリー教会  村上密

≪身近なヤクザ、ヤクザ被害者たちへ≫

ヤクザ被害者たちへ

怯えている人たちが脅かす存在に立ち向かう勇気をもつことを私は強く願いたい。
そのためにも私は人々の前に立ち、見せていきたい。
                               アッセンブリー牧師  村上密

≪身近なヤクザ≫日本のヤクザの実態について

日本のヤクザの実態

 私は暴力団を否定する。暴力団は日頃から非合法な手段で金を稼ぎ組織運営をしている。暴力団の資金源は麻薬覚せい剤、 「みかじめ料」という恐喝稼ぎ、組織的売春、ふりこめ詐欺、借金の恐喝的取り立て代行や不動産の不法占拠など、 継続的日常的に犯罪を繰り返し継続させ、自分らの力を肥え太らせている。そして、犯罪を産業化させて、 多くの凶悪犯罪と犯罪者と犯罪被害者を生み出し続けるだけの、忌まわしい組織を作り上げている。 暴力団は、政治家、警察、同和、裏社会で密接に関係を持ち、悪事で私服を肥やし続けている。さらに、 暴力団は多くのカルトグループと密接に繋がっており、双方の信金集めのために利用しあっている。 暴力団自身が運営するカルトグループも存在し、暴力団自体、悪質極まりないカルトグループという側面を持っている。
暴力団の実態は、悪質なカルトグループと表裏一体であり、排除すべき存在である。

暴力団事務所の所在地と画像
http://airfighter.info/index.html
ヤクザ大辞典
http://wikiyakuza.wiki.fc2.com/
報道できない韓国人のタブー
http://tokua33.ninja-web.net/
全国暴力団情勢
http://yakuzazimusyo.seesaa.net/

≪身近なヤクザ≫会津小鉄会(京都)とは

会津小鉄会とは

 会津小鉄会は、京都府京都市下京区に本部を置く指定暴力団。構成員は平成23年(2011年)時点で 約410人。京都府では最大のヤクザ組織。活動の歴史は古く京都府内の多くの企業や政治家と関わりを持っている。

・三代目寺村組:
京都府八幡市八幡長田40-60に本拠を置く六代目会津小鉄会の二次団体。
・四代目いろは会:
京都府京都市左京区一条寺塚本町21-4に本拠を置く六代目会津小鉄会の二次団体。
・心誠会:
京都府京都市伏見区深草西浦町4-6-1に本拠を置く六代目会津小鉄会の二次団体。
・二代目馬場組:
京都府京都市東山区古西町319に本拠を置く六代目会津小鉄会の二次団体。
・網紀正:
京都府福知山市に本拠を置く右翼団体。別名、東洋民族派評議会。会津小鉄会関係
http://yokohamajipsy.blog.fc2.com/blog-entry-12239.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1620

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≪身近なヤクザ≫<会津小鉄会>会津小鉄会の顔

会津小鉄会 会津小鉄会の顔

山口組、淡海一家 高山義友希(別名:高山誠賢)
山口組 淡海一家組長。
(本部)滋賀県大津市長等1-5-22
(本家)京都府京都市左京区下鴨宮河町52-2



会津小鉄会 馬場美次
会津小鉄会 会長。
京都府京都市下京区岩滝町176-1




会津小鉄会 道原利光
会津小鉄会 三代目寺村組 組長
京都府八幡市八幡長田40-60



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≪身近なヤクザ≫<会津小鉄会>会津小鉄会の犯罪事件

会津小鉄会 会津小鉄会の犯罪事件

 会津小鉄会は、地元京都を中心に、各地で凶悪な犯罪を引き起こしている。 会津小鉄会が資金作りにカルトグループと大きく関わり、裏で操っている悪である事は明白だ。
無法者をこのまま野放しにはしておかない。

京都と闇社会
http://blog.goo.ne.jp/tetsu814-august/e/2d183682edc560703c8de65b180e9812
宅見組長射殺事件
http://yokohamajipsy.blog.fc2.com/blog-entry-12239.html
「餃子の王将」社長射殺事件
http://akbmoning.seesaa.net/article/383138687.html

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≪身近なヤクザ≫山口組(全国)とは

山口組とは

 山口組は、兵庫県神戸市に本部を置く暴力団で、日本最大規模の指定暴力団。 その構成員数は2012年の時点で約13100人、準構成員数は約14600人の合計約27700人であり 日本の全暴力団員全ての約46%を占めている。近年、京都府でも大きく活動しているのが目立つ。

・淡海一家:
滋賀県大津市長等1-5-22に本部を置くが、京都府京都市左京区下鴨宮河町52-2に 本家を置く六代目山口組の二次団体。組長の高山が、京都の会津小鉄会の息子でもあり、 会津小鉄会とも関係が深くなっているため、京都でも力を振るってきている。
・雄成会:
京都府京都市南区東九条に本拠を置く六代目山口組の三次団体。
上部団体は倭和会(大阪府に本部を置く山口組二次団体)
・久富連合会
京都府京都市南区東九条に本拠を置く六代目山口組の三次団体。
上部団体は倭和会(大阪府に本部を置く山口組二次団体)
・秀真会:
京都府与謝野町に本拠を置く六代目山口組の三次団体。
上部団体は倭和会(大阪府に本部を置く山口組二次団体)
・酒井組:
京都府京丹後市網野町に本拠を置く六代目山口組の三次団体。
上部団体は一道会(福岡に本部を置く山口組二次団体、旧淺川一家)
・國勝義塾:
京都府京丹後市網野町網野659-1に本拠を置く右翼団体。
上部団体は、山口組山健組。
http://www.bbc.com/news/world-asia-23339845
https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=resturant+owner+suing+yamaguichi+gumi+boss
http://zenkokumayakubokumetsudoumei.com/

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≪身近なヤクザ≫<山口組>山口組の顔

山口組 山口組の顔

山口組 司忍
六代目山口組 組長。
兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1




山口組 井上邦雄
山口組 山健組 組長。
兵庫県神戸市中央区



山口組 淡海一家 高山義友希(別名:高山誠賢)
山口組 淡海一家組長。
(本部)滋賀県大津市長等1-5-22
(本家)京都府京都市左京区下鴨宮河町52-2



山口組 倭和会 飯田倫功
山口組 倭和会 会長。
大阪府大阪市中央区瓦屋町




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≪身近なヤクザ≫<山口組>山口組の犯罪事件

山口組 山口組の犯罪事件

 山口組は、世界最大最悪の凶悪犯罪者組織である。 その繋がりは、あまりに広く、日本のヤクザの起こしている犯罪のほとんどは 彼らに責任があると言ってもいいだろう。独裁者を排除する。それは悪いことではない。 放置していることが悪いことである。

ヤクザの事件のまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2135064282830890601
暴力団ニュース
http://yakuzanews.blog36.fc2.com/

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≪身近なヤクザ≫<その他関西のヤクザ>東組(大阪)とは

その他関西のヤクザ 東組とは

 大阪西成に本部を置く指定暴力団。独立したヤクザ組織。注目すべき犯罪者組織。
“武闘派一門”や"喧嘩の東組"の異名を持つ。構成員は290名。
東組 滝本博司
東組 組長
大阪府大阪市西成区山王1-11-8


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≪身近なヤクザ≫<その他関西のヤクザ>酒梅組(大阪)とは

その他関西のヤクザ 酒梅組とは

 大阪西成に本部を置く指定暴力団。独立したヤクザ組織。注目すべき犯罪者組織。
ギャンブルが主体。構成員は120名。

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≪身近なヤクザ≫<その他関西のヤクザ>九条組五代目丸富連合会とは

その他関西のヤクザ 九条組五代目丸富連合会とは

 京都府京都市に本拠を置く指定暴力団。注目すべき犯罪者組織。
一本独鈷の的屋組織。

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≪身近なヤクザ≫<日本のヤクザの現状>全国のその他のヤクザ

その他関西のヤクザ その他のヤクザ

 全国には危険な暴力的なヤクザ組織がある。特に工藤會、道仁会が日本一危険と言われており。他にも幸平一家、小西一家、極心連合、落合金町は危険で武闘派ヤクザと言われている。
・工藤會 福岡県に本部を置く指定暴力団。独立したヤクザ組織。反山口組。
 構成員は1020名。極めて凶悪な組織。
・道仁会 福岡県に本部を置く指定暴力団。独立したヤクザ組織。
 構成員は1150名。銃火気類を多用した激しい抗争を行う組織。
・幸平一家 東京都に本部を置く住吉会二次団体。構成員は300名。
・落合金町連合 東京都に本部を置く山口組二次団体。
・小西一家 兵庫県に本部を置く山口組二次団体。
・極心連合 大阪府に本部を置く山口組二次団体。構成員は600名。

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≪身近なヤクザ≫<沖縄のヤクザ>旭琉會とは

沖縄のヤクザ 旭琉會とは

 旭琉會(きょくりゅうかい)は沖縄県沖縄市上地2-14-17に本拠を置く指定暴力団。
注目すべき犯罪者組織。構成員は約520人。
http://news.livedoor.com/article/detail/6287299/
http://www.oki-boutsui.or.jp/detail.jsp?id=38639&menuid=8736&funcid=1

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牧師一言コメント・

≪身近なヤクザ≫<沖縄のヤクザ>旭琉會の歴史

沖縄のヤクザ 旭琉會の歴史

1952年頃 第二次世界大戦が終結し、1952年頃には、沖縄には「コザ派」、「那覇派」の2つのヤクザが出来上がり、対立抗争が多く繰り広げられ始めていた。

1961年 <第1次沖縄抗争>
1961年9月9日、那覇派首領の又吉世喜が、コザ派幹部に呼び出されてリンチされる事件が発生した。又吉は瀕死の重傷を負ったが一命を取りとめた。那覇派は激高し、以後2年間抗争を繰り広げることになった。 コザ派は再度襲撃を計画し、本土から殺し屋を雇って、1962年11月13日に又吉を狙撃した。又吉はまたもや瀕死の重傷を負った。又吉は二度、生死の境を彷徨いながらも生還したことから「不死身の男」の異名をとることになった。 最終的に琉球警察は両団体の組員ら100人以上を大量検挙したことにより沈静化させた。

1964年 <第2次沖縄抗争>
1964年11月、泡瀬派は旧コザ派首領で山原派の顧問だった喜舎場朝信の乗用車に銃弾を撃ち込んだ。山原派は直ちに報復したことから第2次抗争が勃発した。
1965年夏に、両派は和解し一旦は平穏になった。しかし、今度は泡瀬派と那覇派との間に抗争が勃発した。泡瀬派は、山原派と普天間派に仲裁を依頼したが失敗に終わった。泡瀬派は失敗の原因を山原派のせいと決め付け、1966年4月30日に喜舎場を再度襲撃したが未遂に終わった。 那覇派・普天間派・山原派の三派連合は、喜舎場襲撃事件をきっかけに泡瀬派の殲滅を開始した。泡瀬派は三派連合を敵に回したのと、幹部の逮捕により大打撃を受け、翌1967年に解散した。

1967年 <第3次沖縄抗争>
1967年3月3日、普天間派の幹部宅に銃弾が撃ち込まれたことを契機に第3次抗争が勃発した。 普天間派も反撃したが、数に勝る二派連合(那覇派・山原派)が常に圧倒し、10月19日に二派連合は普天間派首領の田場盛孝を狙撃し死亡させた。 普天間派は報復行動に出ようとしたが、田場の妻は組織解散の道を選び、11月25日に普天間派は解散文を普天間警察署に提出して解散した。 射殺者発生を重く見た琉球警察は、カービン銃を携行した警察官により抗争地域の警らを実施。街頭での警察官のカービン銃携行は、1958年の通貨切換えに伴う交換所警備以来の事態となった。

1974年 <第4次沖縄抗争>
沖縄から本土に渡った神里恵男は、1968年(昭和43年)頃に山口組系小西一家・小西音松総長の舎弟となる。これを受けて神里は尼崎市で親琉会を結成、翌年には親琉会沖縄支部・国琉会を作り、国仲寛一を支部長に据えた。だが、間も無く国琉会は琉球警察の手入れによって解散、山口組の沖縄進出は一旦頓挫する。これと相前後して1969年(昭和44年)12月、沖縄の暴力団を二分していた『山原派』と『沖縄派』が合併、旭琉会の前身にあたる『沖縄連合琉球会』が結成された。 本土復帰後の1973年(昭和48年)に山口組若頭補佐・小田秀臣と山口組織田組・織田譲二組長は東亜友愛事業組合との交渉の末、東亜友愛事業組合沖縄支部(宣保俊夫支部長)を山口組直系として沖縄への再進出を果たす。そんなさなか、旭琉会理事・上原勇吉が謹慎処分を受け、これが一連の抗争の伏線となる。 1974年(昭和49年)9月、旭琉会幹部は、那覇市のバーで上原勇吉の実弟に会ったものの、旭琉会幹部に対して上原の実弟が挨拶をしなかったことから喧嘩が発生。翌日に旭琉会側が上原組組員7人を拉致し、激しい暴行を加えた。これに対し同年10月24日、上原組組員・日島稔ら2人が、宜野湾市のクラブで旭琉会理事長・新城喜文を射殺。同年12月9日には旭琉会組員が、上原組幹部・山城長栄を刺殺し崖から投げ捨てた。 1975年(昭和50年)2月、旭琉会組員・友寄倉茂ら7名が、上原組組員の仲宗根隆・嘉陽宗和・前川朝春を拉致。旭琉会・仲本善忠会長は友寄らに拉致した三人の殺害を指示し、2月14日に友寄らは三人を国頭村の山中に連行。その場で三人に2メートルの深さの穴を掘らせ、三人を穴の中に入れさせた上でコルト45口径とコルト22口径の拳銃で射殺した。三人のうち嘉陽は瀕死の重傷を負ったものの穴から這い出したが、友寄らに短刀で何度も刺された挙句にこめかみを拳銃で撃たれて絶命した。このリンチに対する報復として、上原組側は同年12月9日、仲宗根の実弟も参加して配下の組員にバイクで土佐犬の散歩中の旭琉会理事長・又吉世喜を車で追跡、拳銃で又吉を射殺した。 ここに至り山口組は、沖縄進出に本腰を入れ始める。翌1976年(昭和51年)に、山口組若頭補佐・大平一雄は、東亜友愛事業組合の仲本正弘・仲本正秀兄弟、大平組舎弟頭・古川真澄の養子とし、古川は沖縄県で「琉真会」を発足。更に同年12月には、上原勇吉の実弟・上原秀吉が大平一雄の舎弟となり、上原組に琉真会=山口組が加わる。1977年(昭和52年)新春に琉真会の組員が旭琉会組員を捕らえて暴行を加えると旭琉会側は、同年5月13日に仲本正弘のボディガード2人を拳銃で銃撃、5月15日には旭琉会組員が上原秀吉の乗った車を銃撃、5月18日には上原組組員2人を拳銃で銃撃し1人を即死させもう1人に重傷を負わせるなど報復行動に打って出た。 本土の暴力団も巻き込む事態に沖縄県警は、同年3月に「旭琉会対上原組・琉真会対立抗争事件取締本部」を設置。同年5月19日には応援に行かせた大平組組員24人を空港で機動隊に包囲させ水際で阻止している。それでも8月11日に琉真会アジトが3階に入るビルを旭琉会組員が襲撃、警戒中の機動隊員1人を射殺し、アジトに手榴弾を投げ込み逃走した。 このため1977年(昭和52年)9月に当時の警察庁長官・浅沼清太郎が山口組壊滅作戦を指示、警察の全国的な暴力団殲滅体制に抗争どころではなくなってきたこともあってか、1981年(昭和56年)7月に山口組二代目吉川組・野上哲男組長、二代目旭琉会・多和田真山、澄田組二代目藤井組・橋本実組長の三者が五分の兄弟分となり、旭琉会と山口組の抗争は一応の終結を見た。

1983年 <第5次沖縄抗争>
第4次沖縄抗争の結果、旭琉会は山口組との友好関係を構築することに成功した。会長の多和田真山はこれを機に組織改革を実施したが、この改革に対する不満が根強く、1982年10月9日に射殺された。 前回の抗争で旭琉会の攻撃を受けていた上原組は、多和田会長射殺を機に対旭琉会工作を活発化させたが、旭琉会の新和一家は上原組に対し警告を発していた。 1983年4月に新和一家総長殺人未遂事件が発生し、第5次抗争が勃発した。 警察の迅速な対応と、旭琉会側の自重により、今回の抗争は1ヶ月余りで終結した。

1990年 <第6次沖縄抗争>
第6次沖縄抗争(だい6じおきなわこうそう)は、1990年から1992年にかけて沖縄県で起きた、三代目旭琉会対沖縄旭琉会の抗争事件。 1983年5月、旭琉会は内部抗争が原因で前年10月に殺害された多和田真山二代目会長の後を受けて翁長良宏が三代目会長に就任し、三代目旭琉会が発足。三代目旭琉会は、翁長会長と富永清理事長の組織体制で運営されることになり、その後7年間は平和が保たれていた。ところが1990年に入り、翁長派と富永派の内部対立が表面化するようになった。 1990年9月13日、翁長派の丸長一家事務所に富永一家の組員が乱入し、総長の弟に重傷を負わせる事件が発生した。この事件を受けて、旭琉会は17日に富永派の絶縁処分を発表したが、富永派はこれに対抗し19日に沖縄旭琉会を結成、旭琉会は分裂した。 2組織の間では分裂直後から過激な抗争が繰り広げられ、無関係の高校生や覆面パトカーで警戒中の私服警察官2名がそれぞれ対立組織の組員と間違われて射殺される、ほかにもカーチェイスや火炎瓶連続投擲などがあり、組員・関係者だけでなく一般市民や警察官にも被害が及んだものも含め、事件が相次いだ。そのため一般世論をも巻き込む暴力団排除の風潮が強まり、暴力団対策法の制定や沖縄県警の取り締まり強化に繋がった。 暴対法施行直前の1992年2月に終結宣言が出され、抗争は終結した。

1990年に沖縄旭琉会が分裂。これを機に第6次沖縄抗争(1990年~1992年)に発展し、暴力団員のみならず警察官や一般人までも巻き添えで殺害される事件が発生した。これをきっかけに暴力団対策法が制定された。 1992年より旭琉会・沖縄旭琉会の両団体とも暴力団対策法の定める指定暴力団となった。

2011年11月に、沖縄旭琉会が四代目旭琉会を吸収合併する形で再度結成され、沖縄県で唯一の指定暴力団、旭琉會(きょくりゅうかい)が結成された。

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≪身近なヤクザ≫<沖縄のヤクザ>旭琉會の顔

旭琉會 旭琉會の顔

旭琉會 富永清
旭琉會 会長





旭琉會 花城松
旭琉會 会長代行
花城一家総長



旭琉會 上里忠盛
旭琉會 理事長
上里一家総長



沖縄やくざの分布図






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